学びって、ほんまに誤解されやすい。
「いっぱい本読んでます」 
「セミナー行きまくってます」
 
って言う人ほど、実は何も変わってなかったりする。
 なんでやろか。
──それは「学び=インプット」やと思ってるからや。
学びを血肉に変えるんは、インプットだけやない。
 アウトプットして、使って、成果に変えて。
そこで学びは自分の一部になるんや。
「知ってる人」で止まってないか?
情報が溢れてるこの時代、知ってることなんかもう大した価値ないねん。
 ChatGPTに聞けば大体出てくるやろ? 
せやから「知ってる」止まりの人は、残念ながらAI以下や。
ほんまの価値は「その知識をどう使ったか」。 
行動に変えて、失敗して、また修正して──そのプロセスでしか血肉にならへん。
「虚太郎」で止まる人が多すぎる
そこで出てくるんが、ぷち流で言う 虚太郎 や。
どういうことかって言うと── 
理想の自分は、進んだ先におる自分やん。今の自分とは違う。 
けどな、その理想を「今の自分」に持ってきて、「なんで私はまだできへんねん」って落ち込む。
 この時点で、それはただの虚像。
虚像の虚を背負った「虚太郎」になってまうんや。
これ、学びの場面でもようある。 
まだ身についてへんことを「できない」って嘆いて、自分を責める。
 せやけど、それは未来の自分がやることやねん。今の自分に背負わせるもんとちがう。
1冊を10回読んだ人だけが見える景色
せやから大事なんは、今の自分にできる学びをコツコツ積み上げることや。 
本やったら、10冊を1回ずつより、1冊を10回読むほうが圧倒的に強い。
同じ本でも、読むたびに刺さる場所が変わる。 
それは自分が進んでる証拠やし、今の自分に必要な学びが見えるってことや。
線を引く、メモする、自分の言葉に書き直す。
 そうやって“今の自分サイズ”の学びを拾っていく。
 これが血肉になる第一歩やで。
アウトプットは理解の証明
「わかったつもり」ほど危険なもんはない。
 ほんまに理解できてるかどうかは、人に話したらすぐバレる。
 説明できへん=まだ自分のもんになってへんってことや。
せやから学んだら即アウトプット。 
誰かに話す、SNSに書く、仕事で使う。 
これをせえへん学びは、砂漠に水撒いてるようなもんや。
アウトプットは理解の証明。ここで逃げたら、ずっと虚太郎のままやで。
学びを“道具”に変える
私はよう「知識を増やすんやなくて、武器を増やせ」って言うんやけどな。
 知識は飾りやけど、武器は使える。
1つの学びで成果を出した瞬間、それは一生モンの武器になる。
 武器が増えるほど人生は楽になるし、自由度も増す。
虚太郎のまま知識を抱え込むんやなくて、 
道具にして振り回す。 
これが学びを血肉にするってことや。
まとめ
学びを血肉に変える3ステップ:
1.今の自分に合うインプットを繰り返す
2.すぐにアウトプットして定着させる
3.成果に変えて武器化する
未来の自分と比べて落ち込むのは虚太郎や。
 虚太郎から抜け出したければ──
やるか、今やるか。

  
  
  
  

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